◎いつも修行が続けられているから、同じご理解(一月二十二日ご理解のパンフレット)を繰り返し頂いてもいつも新鮮。お茶の手前が繰り返されるのと同じ。P

%1私の最近のぎりぎりの信心が一月二十二日の朝の御理解。パンフレットに。

%A一月二十二日のパンフレットになったご理解を毎日読まれていて、『お茶の手前をしておるところ』を御心眼に頂かれる。

%J一月二十七、八日に隅田先生を迎えられたことに触れて。

昭和四十三年二月六日 夜の御理解


 %1私は、あの二十七、八日の隅田先生をお迎えしてから、ずっーと今日まで、あの時に出来ました、あのパンフレット、二十二日の朝の御理解というものを、毎日読ましてもらうんです。毎日読ましてもらって、毎日、その新たに有難いもの、さらな有難いものを、その中から感じるのです。

 %1本当の事という事。同時に、私の最近の、いわばギリギリの信心なのですから。もう読めば読むほど、毎日読まして頂いて、この事が、今日一日、私の信心の上に、おかげを頂いておったか、どうかという事を思うて見ると同時に、もう本当に、お道の信心は、ここに極まったという感じが致します。

 それで、今日も私、久富先生が下がられたのが、四時だったでしょうか。あちらで、事務所で、それを、ちょっと用があったんですけど。読み出しましたら、一気に読まにゃおれないような感じで、読まして頂きよりましたら。

 %A読みながら、御心眼に頂くのがですね。『お茶の手前をしておるところを頂くんですよ』。ははあ、これは、あのお茶の稽古なんかなさる人達が、毎日というか、お茶をされるたんびんに、おんなし事柄を、同じ手前でなさるわけですね。それでいて、やはりあの、お茶の味わいというかね。お茶の持つ精神というものを、いよいよ体得していかれるように、私共、信心させて頂く者はですね。

 はあこれだと、この御教えにというようなものを、もし頂いたら、それを毎日、毎日繰り返して頂かにゃいけんと、思うですね。そうして行くうちにです、いよいよ味わいが出てくるんです。皆さん、どんなことか知らんですけれども、私はあります。毎日その、いうならば、二十二日の朝の御理解に支えられておる様な感じです。

 この前、隅田先生が見えました時に、客殿でお食事の後にでございましたけれども。なんの話からかでしたが、三代金光様の御内容を頂くという、教団でその事を大変申した、あの時分がございました。三代様の信心の内容を頂く。その為に、いろんな研修会あったり、話し合いがあったり、ね。三代様の御神勤の内容をどういう風に頂くかという事なんです。ね。

 そういうてから、その大変、毎日のように御本部では、三代様の御内容、三代様の御内容と言うて、その御内容の研究はしておるけれどもですね。「私は思うんです」と言うてから話されるんです。いかに金光様の御内容、金光様の御内容というて研修し、研究したところでですね。朝の、あのお出ましひとつ拝めんようで、内容が分かるんかと、「私は思う」と言われる。

 私が、あの二十二日の朝の御理解を毎日読んで、毎日新たなものを感じさせて頂くという事は、やはり私が、私なりに修行が続けられておるから、それが新たなものとしてですね。さらなものとして、はあ、お道の信心は、もうここに極まったと言うものを知って、頂くたんびに、しかも味わい深く頂いて行く事が出来るのですね。

 ですから、修行を抜きにしてからでは駄目です。いくら読んだって、また、さらなものも生まれてこないでしょう。けれども私、現在の修行が続けられる限りですね。おそらく私は、あの二十二日の朝の御理解を、暗記するまで読ませて頂いても、おそらく味わいが出てくるんじゃないかと思うんです。ね。

 私は、それがおかげになるのだ。それが、信心が伸びていくのだ。新たな、さらな事を聞かなければ、分からなければという事じゃない。お茶の稽古をするのが、同じ、例えば、先生から習うた事を、同じ手前を、同じ何年でも、何十年でも、同じ事を繰り返すだけの事なんだ。

 それでいて、そのお茶の精神がいよいよ深く分かり、また、手前をさして頂く楽しみと言ったようなものがです、身に付いてくるようなものじゃないかと言う風に、今日は感じたんです。

 皆さん、修行して本気でですね。皆さんが、まあだ、手元に持っておられましょうからね。もう一遍頂き直してごらんなさい。実に味わいの深いものに、皆さんが感じられるなら、皆さんの信心は、まあ、合楽の信心の修行に連れのうた信心が出来ておるという事が言えれるでしょう。どうぞ。